わすれがたみ

旅行と観劇など

丸亀旅行記

5月中旬。会社から5日間のまとまった休暇をもらったので、ふと思い立って丸亀を旅行した。

丸亀に行こうと決めたのはお察しのとおり、刀剣乱舞の にっかり青江 。

定期的にサボりつつなんだかんだ続いてるあのゲーム内のキャラクターの中で1番はもちろん初期刀の加州清光なんだけど、特別枠にはずっとにっかり青江がいる。

せっかくの休み。海があって歴史があって、ご飯が美味しくてのんびりした場所に行こう。そう思っていたので、いろんな意味で丸亀は行き先にぴったりだった。

 

仕事終わりの夜に東京を出発し、兵庫は三宮でバスを乗り継いで昼過ぎに丸亀着。駅近の宿に3泊して、4日目の夜に夜行バスで帰るという3泊+車中泊2泊の日程。

ニッカリ青江公開期間でもない、特にメインイベントのない旅行記のはじまりです。

 

丸亀に着いて荷物を駅前のコインロッカーに預け、とりあえずはうどんを補給。「ごはんが美味しいところ」に行きたいと前述したが、私は数ある料理の中でも麺類が好きだし、麺類の中でもうどんはかなり1位に近いところにいる。

安くて美味しくてバリエーション豊富、素晴らしきうどん。

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うどんを食べて元気になったところで、まずは挨拶がてら墓参りをしたい。と、思って京極家の墓所を調べたら、えー京極家の墓所って丸亀じゃなくて近江にあるのー。

青江=京極家=丸亀、のイメージしかなかったけど、よくよく考えてみれば京極家ってもともと近江のほうの家だし、京極家が丸亀に来たのも京極高和氏の代から。豊臣家からニッカリ青江を受け取ったとされる忠高氏からは2代もあとの話なわけで。次の休暇は近江旅行だなぁ。

調べてみれば、丸亀藩京極家6代目の京極高朗氏のお墓は丸亀市内の「玄要寺」というお寺にあるらしい。玄要寺自体、京極家の(正確には京極家の先祖佐々木源氏の)菩提寺として近江に建立されたお寺で、京極家が引っ越すたびに一緒に引越ししてきたらしい。それは是非詣でねば。丸亀駅からは歩いて10分かからないくらい。

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お寺自体は入りにくいというか、観光客が気軽に訪れていい感じのお寺ではない(意を決して閉まっている扉を開けようとしたけど開かなかった。ガタガタして申し訳ない気持ち)。えー墓参り…と思いながらあたりをウロウロ、住宅街の細い道を歩いていたら、お寺の裏手の墓所に出た。このへん入っていいのかな…と不安になりながら進むと京極高朗氏の墓所が!

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周りは土塀にぐるりと囲まれて中には入れない。柵越しにご挨拶。

藩主の墓所というからもっと静かーなところを想像していたけど、墓所のすぐ隣には幼稚園があって子どもの笑い声が絶え間なく聞こえてくる。歴代藩主の中でも唯一丸亀に墓所があるくらい丸亀愛の強かったお殿様のようなので、地元の子どもの声が聞こえるところで眠っているのはきっと嬉しいんじゃないかなぁと思ったりした。

土塀の瓦にもバッチリ京極家の四ツ目紋が刻まれててテンションあがる~う。

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高朗氏の墓所のすぐ近くには、「田宮坊太郎」という方のお墓がある。なんでも歌舞伎や浄瑠璃の題材として広まった物語の主人公で、史実ではないらしい。史実ではないが、話自体は京極家によってまとめられた地誌に載っていて墓所もある。こういう事実と空想の狭間の存在はとても面白い。

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ちなみに高朗氏や田宮坊太郎さんの墓所近くには丸亀藩ゆかりの人物のお墓が点在している。

途中の看板曰く、玄要寺の敷地はもっと広かったという。今は多くが住宅地になっている。

 

丸亀駅の周りにはこの田宮坊太郎墓所のように金比羅街道ゆかりの地が点在していて、説明書きの看板がある。その場所だけ地面の色が違って(コンクリじゃなくてうす茶色)、なんかセーブポイントっぽいというか、イベントが始まるポイントっぽくてちょっと楽しい。

 

そのあたりから歩いて10分もすると丸亀城の大手口に着く。

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えっ、めっちゃ上にあるじゃん。

っていうのが初見の感想。これ1時間の登山コースですか?

一応事前知識として頭には入れていたけど本当に石垣がすごい。お城とか石垣とか、好きだけどさほど詳しくはない私が見ても「すご…」と絶句する。

建物(建物?石垣以外の部分)として残っているのは、大手口(一の門&二の門)と天守閣のみ。どちらも江戸時代前期のものが現存しているという。

城が完成したのは丸亀藩京極家初代の高和氏が入城してから2年後らしいので、青江はこの城の完成を見ているわけだ。

子どもの日はすぎていたが大手口手前のお堀には鯉のぼりが下がっていて良い風情。

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坂の手前にある観光案内&お土産処で覚悟を決めながら涼んでいると、お店のお姉さんが、もうお城登られましたかー?と声をかけてくれる。

いえこれからです、と答えると、よければルートと見所案内しますよ、ということなのでありがたく聞くことに。

最短だと15分くらいで登れるお城ですね、という言葉に思わずエッ15分で登れるんですか!?と聞き返してしまう。その代わり坂は急ですけどねーというお姉さん。

 

お店を出てすぐ左手が「見返り坂」。坂が急なので登っていると思わず振り返って見てしまうことから名前がついたそうだけど、ほんとそれ。登り始めて3歩で振り向いた。

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平日の昼間ということもあって人は少ない。途中でバテてる私を横目に、毎日の散歩コースにしているのか健脚のおじいちゃんがスイスイと登っていく。

この見返り坂、途中で一度平地になって折れ曲がってさらに続く。この一度平地になってからがさらに急勾配。

途中の平地にはベンチがあって一休みできる。ここには「扇の勾配」と呼ばれるキレーな曲線美の石垣があって、それはもう圧巻。どの角度から見ても美しい。

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見返り坂を見返って見るとこんな感じ。いや、急。

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坂を登りきったところでショートカットすると最短ルートで天守閣に行ける。が、石垣の周りをぐるっと散歩してから登れるコースもあるのでそちらそ行くことに。

どこもかしこも石垣がすごい。

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坂が急だしけっこうしんどいんだけど、登るごとに風が涼しくなるので気分はいい感じ。

いろんなところにこの3家の家紋が刻まれている。丸亀城に入った歴代の家の紋で、上から生駒家・京極家・山崎家(入城順だと、生駒→山崎→京極)。

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石垣にはまったく詳しくないんだけど、石垣にときどきあるこの排水口の出口がなんか好きだ。

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個人的に丸亀城の素敵だなぁと思うところは、整備されすぎてないところ。観光案内所のお姉さんに紹介されたルートの階段もこんな感じで、自然との共存感がすごい。

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この階段を登るといよいよ天守閣。しんどいけど、下から見たときに思ったよりは早く登れる。のんびり見てまわって途中で休憩してても、30分くらいでたどり着ける。

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ちなみに天守閣までの道にはこんな脇道もあって、ちょっとした冒険気分も味わえる。

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天守閣の中に入るには200円必要。逆に言うとここまではタダでウロウロできるので丸亀市、太っ腹だ。

建てられた当時のままの木造天守閣というだけあって、内部の階段もこんな感じ。ここ数年で行ったお城は大阪城とか名古屋城とかだったので新鮮だ。

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下から見たときも小さな天守閣だなーと思ったけど、登って見ても小さくてかわいい。この旅行の後半に高松城も見に行ったけど、高松城の櫓と丸亀城天守閣が同じくらいの大きさの気がする(正確なところは分からないけど!イメージそのくらい!)。

難しい建築の話は読んでも正直よくわからないけど、「城下から天守閣を見たときにできるだけ大きく見せる」ための工夫が色々と施されているらしい。そういうところもなんかカワイイ。

天守閣の1階にはちょっとした展示スペースがあって、こういう鬼瓦などが展示されている。

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城内にはいくつか井戸があって、こんなちょっと怖い話のある井戸もある。

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真偽のほどは置いといて、登ってみると少し殿様の気持ちも分かる気がした。下からこの城を見たときの「いやこれ上まで行くの無理でしょ…」感はすごいのに、登ってみると案外アッサリというか、時間はそんなにかからず登れる。

城を攻めてきた敵に「これ登るの無理でしょ…」と思わせて戦意喪失させる力って、けっこう大きかったがする。そこで石垣を作った人が敵に内通して「案外すぐ登れますよ!」と言ってしまったらそれは驚異だろう。

お城にはこれ以外にも、豆腐売りを人柱にした伝説が残ってたりする。まあお城など大きな建造物にはよくある話なんだろうけど。

丸亀城の幽霊話はこのあたりのことから来ているんだろうなぁ。石垣職人も豆腐売りもなんの非もなく散々な目にあってせめて化けてでてやったのに、幽霊切りの刀がやってきたせいで化けても出られなくなったなんてちょっと切ない。

幽霊を切った刀だ、というだけで幽霊にビビられてしまう青江もちょっと切ない。

 

お城を降りて駅へ向かう。

途中、ここまでが丸亀城の外堀だったんだよーという石碑があった。

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石碑からお城を見るとこんな距離感(写真はズームなし)。

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外堀まで含めるとけっこうな敷地面積になるだろう。大きなお城だ。敷地の割には天守閣が小さい。それで余計に石垣が高く見えるのかもしれない。

 

夜には太助燈籠まで散歩。駅から歩いて5分くらい。

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江戸時代から丸亀は金比羅さん詣の人で賑わう街だったという。船で丸亀に来た人の目印にこの燈籠は建っている。

 

金比羅参りは昔から有名なレジャーだったというが、それをさらに推し進めたのが前述の京極高朗氏らしい。財政を立て直すために観光客を呼び込もう、という政策。

丸亀のシンボルのひとつでもあるうちわ作りも、金比羅参りの人のお土産品としてだけでなく、お土産を配ることで宣伝になる効果を見越して推奨したという。その他さまざまな功績から、高朗氏は歴代藩主の中でも名君と慕われている。

 

 

2日目。

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1日目が月曜日でにっかり青江の現在のお住まい、丸亀私立資料館が休館日だったので、この日もお城周りの散策。あと、丸亀城のARアプリも落とし忘れていたので、宿でアプリを落として再度登城。

前日けっこう歩いて疲れたので駅前でレンタサイクルを借りる。普通自転車なら1日借りて300円。

 

まずは資料館へ。

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この時は通常展示しかやっていなかったので拝観料無料(企画展があると有料の場合があるという)。青江の家にお金を払えないのは少し哀しい…

資料館の規模としてはどうなんだろう、イメージしていたのよりは小規模だった。ニッカリ青江展示期間はここに連日女子が詰めかけたということで、それはさぞ天変地異みたいな光景だったんだろうなぁと思うと面白い。

通常展示だけだと受付を通る必要もないので、なんかシレッと入れる。平日の昼間なので拝観している人もほぼいない貸切状態。

資料館では常設展示として、丸亀城歴代城主の生駒・山崎・京極3家の歴史と文化にまつわる展示をしている。

京極氏のことしか頭になかったので、ここで生駒家・山崎家について少しお勉強する。このとき生駒家が高松城も築城しているということを知って、後日高松城を訪れることを決めた。

 

展示はされていないけど、資料館のパンフレットにはばっちりニッカリ青江が載っている。

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表紙にも切っ先がいる主役っぷり。さにわ、嬉しい。

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この資料館の面白いなぁと思うところは、外にも展示スペースがあるところ。屋外にケースが置いてあって暮らしの道具などが展示されている。道具の中には「うどん揚げ」なんかもあって楽しい。

さらに屋外ならではなのが、芝生広場の石造物の展示。市内各所に点在していたが工事などで壊されることになった石造物を、ここに移転して展示しているという。

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丸亀の街を歩いていて、いたるところに石灯籠があるなぁと感じていた。青江の伝承のことがあるから石灯籠に敏感になっているせいだと思っていたが、どうやら石材加工の盛んな街だったらしい。丸亀城の石垣もそれを象徴している。

丸亀城の石垣は瀬戸内海の島々から運んできたというが、土地の地質的にも良い石が取れる場所だったのかもしれない。

 

この石造物たち、ここで見たときは正直「ふーんいっぱいあるなぁ」くらいだった。

しかし翌日、本島という島に渡って自転車をこいでいたとこに、この石の道案内がとても便利で生活に根ざしていたものだったんだ、と実感。自転車をこいでると地図を出すのがめんどくさくて、そんなときに石の道案内があるととても便利なのだ。昔の人も旅支度で歩いているときに、いちいち地図を出すのは面倒くさかっただろう。

石造物、すごい。きっとここにあった石造物たちも道行く人の役に立っていたんだろう。

 

資料館が建っている場所は、かつてお殿様やその家族が住んでいた御殿があった跡地だという。御殿自体は明治時代の火災で焼失している。

京極家時代のニッカリ青江がどこに保管されていたのか定かではないけれど、御殿近くの蔵にでもあったとしたら、資料館に来たときに青江は「この場所なつかしいねぇ。」とか思ったかもしれない。

資料館が建つ場所以外の御殿跡地は芝生の広がる公園になっている。

 

ARアプリで色々周りながら登城。

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このアプリ、なかなか面白いので今後丸亀城に行く人がいたらぜひ勧めたい。色々面白い写真も撮ったのだけどそれは行った人だけのお楽しみということで1枚だけ。

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御殿跡地あたりに言ってGPSで認識されると現れる、6代藩主京極高朗氏。隣は私がレンタルした自転車。

GPSで現れる人物は高朗氏以外にも何人かいるんだけど、突如現れるからびっくりする。しかもけっこうな足元にいらっしゃる(例外もいる)。

人物が現れる以外にもクイズラリーができたりして楽しい。ニッカリ青江に関するクイズも1問あってニヤニヤしました。

御殿は焼失しているけれど門は残っていて、ここにも四ツ目紋。丸亀城の瓦に押されている紋はほとんどが京極家の四ツ目紋だけど、探すとたまに山崎や生駒の紋もある。

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 当然のことなんだろうけど丸亀城の石垣の保全には万全を期しているようで、こんなお知らせ看板があったりする。石垣にかける本気が見えて、かっこいいなぁと思う。

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 その後はお城の北にある「山北八幡神社」へ。このあたりのいわゆる氏神様で、丸亀藩代々藩主の祈願所になっていたという。

生駒氏が築城にあたり場所を移して今の場所に建て、その後山崎氏・京極氏も変わらず代々この神社を大切にしたそうだ。

境内には絵馬殿があって、京極家が参勤交代のときに船に乗っていた様子が描かれた絵馬があるらしい。絵馬殿の中には入れなかったので絵馬本体は見れなかったけど、入口のところに看板があって写真が見れる。

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(写真は丸亀城パンフレットから拝借)

立派な船に京極の四ツ目紋がドドーンといっぱい描いてあってマジかっこいい。京極ー♥♥♥ってなる。キャー京極カッコイイー!

しかし参勤交代っていうと陸路をてくてく行列していくイメージが強かったから、御船で参勤交代ってすごい。すごいカッコイイ!ってなった。この船一行が来たらけっこうな迫力だっただろう。

 

神社は静かな住宅街にある。敷地は広いけどひっそりと建っているので一度自転車で追い越してしまったくらい。

神社の写真を撮り忘れてしまったので、境内にいたチャボ(?)の写真を。

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その後は20分ほど自転車をこいで、海沿いの「中津万象園」へ。

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中津万象園は、丸亀藩京極家2代藩主の高豊氏が丸亀藩の別邸としてつくったものだという。

京極家の地元(?)である近江をイメージして作られており、園内には琵琶湖のような形の池がある。池の中には小さな島が点々と。島の間も橋や飛び石で行き来できて、じっくり散策すると楽しい。ちょっとした山を歩いている気分。

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一時期は荒れていたというが今は綺麗に整備されていて、庭園内には弁財天やお地蔵さん、お稲荷さんなんかが祀られている。どこも景色が綺麗。どこからか青江の友達の「風流だねぇ」なんて声が聞こえそうな。

「石投げ地蔵尊」というお地蔵さんがあって、石にお願い事を書いて投げると願いが叶うという。1回100円で石にひとつお願い事を書ける。いや、ひとつの石にいくつもお願いを書いてもいいんだろうけど。なんとなく私はひとつの石に願い事をひとつ書いて投げた。

そのほか、ペルシャから来た器なんかが展示されている「陶器館」があったりする。

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陶器館のドアには京極の四ツ目紋がドーン!

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中津万象園はなんとうか、京極家のルーツが京の都に近いあたりにあるんだなぁと実感する場所だった。代々丸亀を治めてきても、元は天皇の血を引く一族なんだぞ、という気位というか。

そういう気位と、世渡りの上手さがあったから、京極家は代々続いてきたんだろう。

私は入らなかったが、中津万象園には美術館が併設している。丸亀はさほど大きくはない市内に3つも美術館が見える街。香川が「うどん県」だけでなく「アート県」をアピールしているのもなるほどなぁという感じ。

丸亀の駅前には「猪熊美術館」という現代美術館があって、近代芸術!という感じのモニュメントがあったり、駅前に転々とアートな石が置いてあったりする。普段生活する人にとってはなんてことないものだろうけど、アートな街、なんだと思う。

 

帰り道、海沿いにかかる「京極大橋」を渡る。

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お城から海のほうを見たときに見える青色のアーチが京極大橋だったんだとこの時気づく。橋自体は大きなトラックなんかも行き交う交通の要所。歩道もあり、徒歩や自転車でも渡れる。

お城のすぐ前にも「京極通り」と名前がついた大通りがある。京極家がどれほど長くこの地にいたのか、この土地の人にとって身近な家だったのか、そんなことがなんとなく分かったような気がした。

 

夜は宿の人たちと丸亀城まで散歩。天守閣の中にはさすがに入れないけど、お城の中には夜でも入れる。天守閣のすぐ近くまで行ける。

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 ひとりで行ったわけでもないし、天守閣や大手門は綺麗にライトアップされているので夜でもあんまり怖い感じはしない(治安的な意味でも)。この土地の穏やかな感じのおかげか、にっかり青江のおかげか。

夜だと涼しいので坂も登りやすい。夏にお城に行くなら夜のほうがいいかも。

天守閣のそばまで行くと丸亀の夜景が一望できる。

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正直、昼間歩いていてそんなに栄えている街という印象は受けない。ただこうして夜景を見ると遠くまで明かりが点いていて、活気のある街なんだな、と思う。海のほうまで明かりがついているのは、船がいるのと、造船の工場があるからだろうか。

昼間も静かだけど、夜は風の音、風で木がザワザワとする音、遠くの車の音、船の音、そんな音しかしない。お城の周りは本当に静かだった。

 

 3日目。丸亀市内はだいたい見て満足したので、この日は瀬戸内海の塩飽(しわく)諸島のひとつ本島(ほんじま)へ。

島へ行くフェリーに乗る前に、丸亀港にある「うちわの港ミュージアム」へ。丸亀産のうちわがたくさん売っていてお土産にいい感じ。予約すればうちわ作りの体験なども出来るらしい。

珍しいうちわも展示してあって、思わず写真にとってしまったのがコレ。人間と蚕の関係の凄まじさ。

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丸亀港からフェリーに乗って本島へ。丸亀⇔本島間のフェリーはおおむね2時間に1本間隔で出ている。

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フェリーを降りたところで自転車をレンタル。なくても頑張れば色々見てまわれるけど、私としては借りて良かったなというかんじ。島を一周したいなら電動自転車がオススメだそう。

 

本島含む塩飽諸島は、昔から造船および操船の技術が高い地域だったという。瀬戸内海で有名な村上水軍が毛利に忠誠を尽くしたのに対し、塩飽の水軍は権力から権力へと渡り歩く。日本人に好かれ物語の題材になりやすいのは、村上水軍の方だろう。

塩飽水軍は織田→豊臣→徳川と3代の天下人にそれぞれ庇護され、その命に従いながら独特な自治制度を保ってきた。江戸時代中期に一次衰退したらしいが、その操船の技術は幕末まで受け継がれる。

ロマンあふれるのが、幕末。勝海舟が乗り日本人初の太平洋横断を成し遂げた船「海臨丸」の水夫50名のうち、25名は長崎の出身者だったが、半数以上の35名が塩飽の出身者だったということだ。

戦国時代には瀬戸内海を制するのに重要な戦力として数えられていた塩飽水軍。

戦に明るい青江のこと、次の行き先は丸亀だよと聞いたときの第一声は「ああ、あの塩飽水軍の。」だったかもしれない。

 

本島には「塩飽勤番所跡」が残っている。昭和に改修されてはいるが江戸時代の建物が残っており、中は1階建ての広いお屋敷だ。

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人名(にんみょう)と呼ばれる、島の住民の中でも船に乗る仕事をしていた人(もっと細かい定義があるのかもしれないがニュアンスはそんなかんじ)の中から、今でいう選挙のような仕組みで代表が選ばれ、交代で政務を行っていたという。国内でも珍しい自治区

その政務の中心にあったのがこの塩飽勤番所

建物の中は展示室になっていて、塩飽が秀吉や家康から自治を認められた書類(朱印状)や、海臨丸に乗った船員が持ち帰ったアメリカ土産などが展示されている。

船の中で使っていたという道具なんかも展示されていて、面白い。

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面白かったのは、脇差がひとふり展示してあること。海の上で日本刀が役に立つことも、そうないだろうに。操船に長けて船に乗った人ならきっとそれを分かっていて、だけれど持っていった。日本刀の「ものを切るための道具」だけではない一面がよく見える。

観光ハイシーズンはけっこうな人が来るんだろうけど、この日はここもほぼ貸切状態。展示を見たあとは畳敷きの日本家屋でぼけーっとした。家屋の構造には詳しくないけれど、この大きく開け放たれたかんじはなんとなく南国っぽい。

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なんとなく、田舎のおばあちゃん家にでも遊びにきたような気分になれる。

番所の受付奥の休憩スペースは、昔牢屋として使われていた場所だそう。入ってみると確かに天井が高いような。

牢屋だった場所で今は休憩している。なんとも平和。

 

番所を出て自転車で海沿いを進む。途中海水浴場があって、瀬戸大橋がキレイに見える。

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夏には賑わうんだろうなぁという美しい海岸。穏やかな瀬戸内海の波。

 

1日目の夜、地元の居酒屋のカウンターで飲んでいると隣に座っていた母と娘のふたり連れが話しかけてくれた。一人旅ですか、と。娘さんは今年大学生になったという。仕事の出来そうなハキハキしたお母さんと、美人の娘さん。

お母さんは高知の出身だそう。土佐の大きな海で育ったお母さんにとって、瀬戸内海の海は「なんか浮いとるー!!」と、そう思ってしまうとか。海は広くて向こうが見えなくて、そういうものだと思って育っているから。

私は島がぽこぽこと浮いている瀬戸内海の海が、すごくキレイだと思う。海のない埼玉県に育つと、海というのはそれだけで特別だ。海というだけで最高だ。

ない場所に育つというのは、ある意味では恵まれているのかもしれない。

 

しばらく進むと、本島の中でも観光名所の「笠島地区」に着く。

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中世の粟島水軍時代には、ここに笠島城というお城があったそう。お城の跡としては土塁などが残っているが、天守閣はない。

街は城下町の風情を残していて、整備され道には石畳が敷かれていた。建物としては江戸後期から大正にかけての立派な民家が残っている。住民の中でも比較的裕福な人が住んでいたようで、一般開放されている「真木邸(笠島まち並保存センター)」にかつて住んでいた真木さんという人は、ある代では塩飽の政務を取り仕切る人のひとりだったらしい。

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200円でお屋敷の中を見てまわれる。真木さんの一族は質屋(確か案内のおばちゃんがそう言っていたはず)をしていたようで、家の中から繋がる内蔵がある。蔵の壁は火災で燃えないように塗られていて、大切なものを保管する家だということがよく分かる。

玄関を入ってすぐ2階にあがるハシゴがある。2階は作業場になっていたようで、今は民具が展示されている。政務をとりしきるような一族でも、日常の作業をする。侍ではなく、町民なんだなぁというか。自治区、というのを感じる。もっとも、侍でも農業などに従事する人は少なくなかかったというけれど。

 

裕福な家だけあって敷地内には綺麗なお庭もある。窓からの眺めが大変雅。

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本島は昔、藤原一族の荘園だったこともあるという。浄土宗の開祖、法然が土佐に流されそうになったおりに藤原兼実(関白。えらい人だー)が法然を自分の荘園のある本島に移したという歴史もあり、都との縁も深い場所。

西が主要都市だった時代、高松や丸亀がある讃岐の国というのは、さほど遠い場所ではなかったんだろうなぁ。

 

笠島の町並みは本当に綺麗な城下町。大きくはない島の一角だなんて言われなければ気付かないかもしれない。

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雰囲気としては京都の祇園のあたりに少し似ている。ただ、ここは波の音が聞こえる。

 

島のあちこちには猫がウロウロしている。丸亀の人いわく、「島はどこも猫が多い」とか。車が通ってもビクともせず道端で寝ている。

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フェリーが着く港をはさんで笠島地区や塩飽勤番所と反対側へ進むと「木烏神社」がある。

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木烏神社の社殿の横には「千歳座」という芝居小屋がある。幕府の禁制を逃れるため、神社の道具納屋というていで建てられたというのが面白い。

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舞台の形になっているところは見られなかったけど、なんとなく想像はつく。手前の板がこう前にせり出して、舞台になったんだろう。境内の広場が観覧席になったというのが、なんかいいなぁと思う。外で波の音をバックに、お芝居を見る。楽しそうだ。

17時すぎの便で丸亀に戻る。フェリーは時間によっていくつか種類があって、こういう車や自転車を詰める大型の船のときもあるから面白い。

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毎日乗っている人にとっては見慣れた光景なんだろうけど、船と船着場を渡る道がかかる瞬間はすごくワクワクした。

 

夜は駅周辺の居酒屋で骨付き鳥(丸亀名物。ビールにあう!)を食べて、城まで散歩。駅前からお城まですぐなので、飲みにいった帰りにフラッとお城を見に行ける。

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お酒が入っているので見返り坂ですっ転んだりしたら大変だなぁと思い、城下のベンチでしばらくお城を眺める。昼間はおじいちゃんおばあちゃんが多い城下の広場だが、夜には学生さんらしき人が多い。

丸亀城のパンフレットに、明治の前半に書かれた城下町の絵が載ってた。そこには城下をうろうろする侍が描かれていたりして、なんとなく用がなくても来たくなるのがお城の下なのかもしれないなぁと思った。

まあ、お侍だからお城に用事があったのかもしれないけど。

 

4日目。遅めに起きてうどんを食べ、なんとなくお城の下を散歩してから丸亀を出発。

丸亀から高松へは快速に乗って30分くらい。昼間は2両編成の電車が走っている。短いのでホームの端っこにいると大変。

高松駅から高松城までは歩いて10分もかからないくらい。丸亀駅からお城よりさらに近い。

高松城の周りは一帯が「玉藻公園」になっている。

 

高松城も見ようと思ったのは、前述の通り丸亀城を築いた生駒氏が築いたお城だからというのがひとつ。もうひとつは、珍しいことにお堀に海水を引いた城だと知ったから。

お堀の水というとコイが泳いでいるような、真水の池のようなイメージが強い。海水のお堀と知っていてもなんかそのイメージは抜けなくて、橋からお堀を見てみたらハコフグ?のような魚が泳いでいて本当にびっくりした。いや、魚には詳しくないから分からないけど、そういうお堀の水の中には普通いないような魚。

パンフレットを見たらお堀の中には、タイやスズキ、フグなんかが泳いでいるらしい。

 

高松城跡には石垣といくつかの櫓が残っている。天守閣は残っていない。

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敷地内には「披雲閣(ひうんかく)」というお屋敷がある。高松城は生駒氏が築城したあと、松平藩が治めていた。その松平藩が藩主の住居などに使うように作ったのが、この披雲閣。明治の時代に老朽化により取り壊され、その後大正時代に再建されたものが今に残っている。

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今は貸会場として会議やお茶会などに使われているらしい。中は開放されていないが、外からは近くまで行ける。大正時代の建物らしい、まっすぐすぎない少し歪んだガラスが綺麗だ。

披雲閣の周りには庭園が広がっている。この旅行でよく庭を見ている。

 

玉藻公園には、「玉藻丸」という小舟に乗って石垣なんかを近くで見れるツアーがある。大人ひとり500円。個人的な感覚だけど、安い。1000円ぐらいするかと思ってた。

お堀の中にはマダイやクロダイが泳いでいる。海水だから。船の上からはこのタイたちにご飯をあげられるというイベントがあって、このエサ代も500円の中に含まれている。ついでに記念品のピンバッジもついてくるからほんとにお得だと思う。船に乗るのが好きなせいでそう感じるのかもしれないけど!

タイたちは「船に乗っている人はご飯をまく」というのを覚えているらしく、船が動き出すと隣をついて泳いでくれる。なんとなく楽しい。乙姫様にでもなった気分。

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高松城は昔、海のすぐ近くに建っていた(今は海との間に道路が通っている)。その景観の美しさから「竜宮城」とも呼ばれたそうなので、乙姫様気分は間違ってはいない。おこがましいとは思うけど。

 

船の上では先導さんがお城の案内をしてくれる。

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石垣の上には昔、この石垣の2倍以上もある天守閣が建っていたそう。全国で4番目に大きい天守閣だったそうだ。

高松城松平家がいたのは、四国のお目付役という意味合いが大きかったらしい。お城の大きさにも納得がいく。江戸幕府将軍家に直結する城、というわけだ。

 

海とは今でもこの水門で繋がっている。ここからタイやらなんやらの稚魚が流れ込んできて、お堀の中で大きくなるらしい。そういう意味でも竜宮城か。

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水門である程度の水位の調節はしているんだろうけど、お堀の中の水位は潮の満ち引きの影響を強く受けている。船に乗ったのはちょうど引き潮のときで、乗っている間にもどんどん水位が下がっていくのが分かった。最大で1.5mほども水位に差があるという。

 

海水を引いているお堀、と聞いたとき、正直けっこうな匂いがするものだと思っていた。磯っぽい匂いというか。特にこの日は暑かったし。

が、お堀からはそういうイヤな匂いはまったくしなかった。海が近いから少し潮の香りはしたけれど。水門があって水の流れがあるからなのか、真水の池のようなお堀よりも水はキレイなような気がする。なんとなくだけど、水の底の色合いや水草の感じも海の中っぽい。青というよりは緑というか、そういう色の水。そこに大きな魚がゆうゆうと泳いでいて、とても綺麗なお堀だった。

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船を降りて天守閣跡へ。上は展望台になっている。

外側の石垣のすぐ後ろがその昔は海だったというから、とんでもないなと思う。

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タイムマシーンがあったらどこに行きたい?と聞かれたら、石垣の外側が海だったころの高松城に行きたい、と答えてもいいかもしれない。

 

玉藻公園を出て5分も歩くと高松港に着く。夜行バスの時間までここで大きな船が行き交うのをぼーっと眺めていた。

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大阪でバスを乗り継いで帰宅。

さすがにこんなに毎日うどんを食べていたら(旅行中、計6杯食べていた)飽きるんじゃないかと思っていたが、帰ってきた日の昼になったらもううどんが食べたくなった。

香川でうどんを食べて驚いたのが、うどんの薬味としてレモンが付いて来ることが多いこと。最初は少しびっくりしたけど、かけてみたらもう、すっごい美味しい。なんで今までうどんにレモンをかけなかったんだと後悔するくらいには美味しい。

家にはレモンがなくて、しかし私はうどんにレモンをかけないと我慢できない体になっていたので近くのスーパーまでレモンを買いにいった。そしてうどんを食べた。

美味しかった。

 

この旅行、「うどんにはレモンをかけると最高」という学びが一番のお土産だったかもしれない。